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第6話  少しだけ、離れて

last update 公開日: 2026-09-18 19:00:42

週が明けた。

美咲はいつも通り出社した。

けれど、いつも通りではないことが一つだけあった。

蓮から連絡が来ない。

昨日も、その前の日も。

これまでなら、短いメッセージが一つくらい届いていた。

《今日は遅くなりそうです》

《ちゃんと帰れましたか?》

そんな何気ない言葉だった。

それがなくなっただけなのに、美咲はスマートフォンを見る回数が増えていた。

「……何を期待してるんだろう」

自分に呆れながら、画面を伏せる。

仕事に集中しよう。

そう思っても、なかなか頭が切り替わらない。

昼休みになっても、通知はなかった。

美咲は小さく息を吐いた。

忙しいのかもしれない。

そう思えばいい。

それなのに、胸の奥には小さな不安が残った。

その日の夜。

仕事を終えて会社を出たところで、スマートフォンが震えた。

画面には、蓮の名前。

美咲の胸が跳ねる。

《少し会えませんか》

短いメッセージだった。

《今からでも大丈夫です》

すぐに返信する。

待ち合わせ場所に指定されたのは、駅から少し離れた公園だった。

美咲が着くと、蓮はベンチの近くに立っていた。

「蓮さん」

「来てくれてありがとうございます」

「どうしたんですか?」

蓮は答えなかった。

いつもの穏やかな顔をしている。

けれど、どこかよそよそしい。

「何かありました?」

「……美咲さん」

名前を呼ばれる。

その声が、いつもより低かった。

「はい」

「しばらく、会わないほうがいいと思っています」

美咲は言葉を失った。

「……え?」

「突然こんなことを言って、すみません」

「どうしてですか?」

「僕の都合です」

「それだけですか?」

「はい」

蓮は頷いた。

けれど、美咲には分かった。

何かを隠している。

「私、何かしました?」

「違います」

「じゃあ、どうして?」

「美咲さんは何も悪くありません」

「だったら……」

声が震えた。

「ちゃんと理由を教えてください」

蓮は黙った。

しばらくして、ゆっくり口を開く。

「僕と一緒にいると、あなたが傷つくかもしれないからです」

「どういう意味ですか?」

「そのままの意味です」

「分かりません」

美咲は首を振った。

「蓮さんが何を考えているのか、私には分かりません」

「……」

「でも、私は一緒にいたいと思っています」

その言葉に、蓮の目が揺れた。

「だから、勝手に決めないでください」

美咲はまっすぐ蓮を見る。

「私が傷つくかどうかは、私が決めます」

蓮は何も言わなかった。

やがて、苦しそうに目を伏せる。

「……そう言ってくれると思っていました」

「だったら」

「だからこそ、離れなければいけないんです」

その言葉が胸に刺さった。

「どうして……」

美咲の声が小さくなる。

蓮は顔を上げた。

「僕には、あなたに話していないことがあります」

「過去のことですか?」

「はい」

「それは、私が知ってはいけないこと?」

「知ってほしくないことです」

「蓮さんが決めるんですか?」

「……」

「私に知るかどうかを選ばせてくれないんですか?」

蓮の表情が歪んだ。

何かを言いたそうだった。

けれど、結局何も言わない。

「すみません」

それだけだった。

美咲は唇を噛んだ。

悲しい。

悔しい。

でも、それ以上に、怖かった。

目の前にいる人が、自分の知らない何かを抱えている。

それを聞かされないまま、遠ざけられようとしている。

「……分かりました」

美咲はそう言った。

「今日は帰ります」

「美咲さん」

「今は、何を言われても分からないと思います」

蓮は引き止めなかった。

美咲は背を向ける。

数歩歩いたところで、振り返りたくなった。

けれど、振り返らなかった。

一人になった蓮は、しばらくその場から動けなかった。

美咲の姿が見えなくなってから、深く息を吐く。

「これでいい」

自分に言い聞かせる。

これ以上、彼女を巻き込んではいけない。

そう思っている。

それなのに。

胸の奥が、痛い。

スマートフォンが鳴った。

蓮は画面を見る。

高瀬からだった。

一瞬迷ってから、電話に出る。

『桐谷か』

「……はい」

『話がある』

「何ですか」

『五年前の事件について、新しい証拠が出てきた』

蓮の表情が変わる。

「どこから?」

『まだ詳しくは言えない。ただ、あの事件をもう一度調べる必要がある』

「……やめてください」

『何?』

「今さら掘り返しても、誰も幸せにならない」

電話の向こうで、高瀬が黙った。

やがて低い声が返ってくる。

『お前は、本当にそう思っているのか?』

蓮は答えなかった。

『五年前、お前は何を見た?』

「……」

『なぜ、証拠を隠した?』

その言葉に、蓮は目を閉じる。

忘れたことはない。

あの日。

自分が見たものも。

自分がしたことも。

すべて覚えている。

『桐谷。今度こそ逃げるな』

電話が切れた。

蓮は暗くなった画面を見つめた。

そして、先ほどまで美咲が立っていた場所を見る。

「……ごめん」

誰もいない夜の公園で、蓮は呟いた。

その頃、美咲は一人で駅へ向かっていた。

何度もスマートフォンを見てしまう。

もう連絡は来ないかもしれない。

そう思うと、胸が苦しくなった。

それでも、美咲はまだ知らなかった。

蓮が離れようとしている理由が、単なる気持ちの変化ではないことを。

そして──。

この日を境に、二人の穏やかな時間が少しずつ崩れ始めることを。

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